震えてるのは君のほう

You’re Dream Maker.

しまさんに短歌から短文を書いていただきました

短歌を精力的に作っているしまさんが「短歌からイメージをふくらませて短文を書く」という試みをやっていて、自作短歌からも選んで書いていただきました。

面白そう〜、と募集ポストにリアクションをしてから、1日も経たずに引用通知がありました。

人間ってややこしい。いやなことがあったら、腹が立ったら、悲しかったら、泣いてしまえばいいのに。涙を流すだけの機能を持っているのだから、それを活用したらいいのに。
それでも、泣きたいときにあえて泣かない、という選択肢をとる人間は少なくない。
赤ん坊や小さな子どもは、泣くことで思いを伝える。単純明快でいいじゃないかとおれなんかは思うけれど、話はそう単純なことではないらしい。
おれの受け持ちのなかには、そういう、泣きたいのに泣かない、という人間が多くいる。理性的といえば聞こえもいいが、見ているこちらからするとじれったいことこの上ない。
もう泣いてしまえよ、と声をかけてやりたくなったことが、今まで何度あったろう。それでも、直接人間に声をかけるのは御法度だ。ごくごくたまに、おれたちの声が聞こえてしまう人間も、いなくもないけど。あれはまあ、特殊なタイプで。
おれたちに出来るのは、受け持ちの人間を見守ること。人間の営みを見届けること。声はかけず、彼らの行く末をその運命に任せること。
そうしてもうひとつ。これは、おまけみたいなものなのだけれど。
棚にしまっておいたじょうろを取ってきて、なみなみと水で満たす。重たくなったそれを手に、おれは受け持ちの区画に向かう。
じょうろを下に傾けた。ざあざあと降りそそぐ雨滴に、うつむいていた彼や彼女の顔が上がる。驚いたような表情から、ああ、雨か、と納得したような顔にかわって、それからゆっくりと、目元や口元がくしゃくしゃに滲んでいく。ほら、これでいい。
泣きたくても泣けないのが人間であり、そうと決めた人間には何も手出しできないのがおれなのだとしたら。泣かないと決めた彼らには、してやれることなど何もないのだとしたら。
それでも、おれはおれなりに、きみらへ祝福を捧げるよ。
だから、なあ。せいぜい派手に濡れてくれ。

scrap

通知に気がついたときにいたのは、梅田で地下にある炉端焼き店でした。一緒にいた友人が席を外したタイミングで電波の悪さと戦いながら画像を読み込んで一読し、広く読まれてほしいと拡散。数時間後ホテルに戻り、落ち着いてお礼と感想をリプライしました。

短歌選びから文章まで、自分の短歌の特徴だと自覚している「(良くも悪くも)主体と対象の間に距離があって自己完結している」ところをそのまま残して良い方に振ってもらえたことがとても嬉しかったです。

一人ひとりの短歌に合わせて違っている画像の色づかいも、ピスタチオグリーンの文字色に柔らかい背景色と好みな要素が詰まっていました。

しまさんの持ち味をあたたかさや湿度、人間味があってリアルな心の動きをはっきり表現しているところだと感じているのですが、自作の雰囲気を残したままにしまさんの味もある作品にしてもらえたと感じています。

 

短歌は、好きなアイドルだった河合郁人さんがグループを去ると発表されたとき作ったものでした。

いつきさんが、最後を見届けるまで泣かないと決めていると言っていてぐっときました。私は9月の時点から何度か不意に涙目になっていたし、関係のないJ-POPの曲で意味もわからず涙目になっていたのに。

(中略)

大前提として泣いている人にも泣かない人にもそれぞれの思いがあり、序列がつくものではないんだけど。

50日後に自担がアイドルを辞めるファン(の1人の思い) - 震えてるのは君のほう

泣かないと決めた人に対してできることは何もないけど、雨を降らせて涙をごまかしてあげられたらいいのになあ。という思いからできた短歌です。

また文章からは昨年観た舞台「ウィングレス」での天使観を連想しました。見守っていた人間のひとりに恋したために自分も人間になって奔走する元・天使の話。模範的な同僚としてこういう天使もいたのかもしれないと楽しくなったし、短歌を作ったときこの舞台に影響を受けていたのかもと新しい発見もありました。

映像に残っていないので、原作小説を紹介します。

しまさんは映画「ベルリン・天使の詩」のイメージだったということでした。初めて聞いたので調べてみたところ、こちらも天使が人間に恋をするというあらすじだった!フィルマークスにClipしました。

 

他の方の短歌を元に書かれた短文は、しまさんのブログにまとめられた記事から読めます。同ブログ内に過去の作品や活動もまとめられているので、そちらもぜひ!

舞台「ウィングレス」の感想もどうぞ。