震えてるのは君のほう

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刀ステ「禺伝 矛盾源氏物語」東京2/11夜感想

※本ページはプロモーションを含みます

舞台「禺伝 矛盾源氏物語」2/11夜公演に行ってきました。初の刀ステ。

刀剣乱舞については、初期(アプリが出る前くらいまで)のゲームに触っていたのと映画を公開当時に観た程度。あとは友人の影響で最近の男士を多少知っているというレベル感です。

 

コロナ禍で東京宝塚劇場の一般を取れたときに観た「はいからさんが通る」で印象に残っていた瀬戸かずやさんが出演ということで気になっていました。

その後、昨年11月に観劇したミュージカル「りんご」で梅田彩佳さんに惹かれた勢いから追加販売された見切れ席を取っています。

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そんな見切れ席TDCの第3バルコニー、R2扉寄りのR3、思いのほか見えない!舞台の上段で起きていることの1/3が分からなかった。

意外と1列目より2列目の方が手すりに遮られなかったりするのかも。

休憩で冷静に正面のL3側を見て、これは遠いなとしみじみ思いました。ただもともと見切れとして取っていたので、やはり総合的には生で見られてよかった。

 

ここからは休憩と公演後のメモを元に、役者さんとキャラとストーリーの感想を思いついたまま書いていきます。

ものすごく大まかなストーリーとしては、物語に侵食された平安京で物語を終わらせる話でした。

時は、四百年続いた平安時代のうち寛弘の頃。平安京には、歌仙兼定を隊長とした、大倶利伽羅一文字則宗山鳥毛、姫鶴一文字、南泉一文字の六振りが出陣していた。
世界最古の長編小説『源氏物語』の作者として知られる紫式部の周辺歴史に異常が見られたためだ。

刀剣男士たちが紫式部を捜して平安京を偵察していると、書物を抱えた女が怪しげな集団に襲われているところに出くわす。正体不明の敵に対して、「まずは出方を見よう」と作戦を指示する歌仙兼定であったが、大倶利伽羅はその作戦を無視して敵に斬り込んでいく。

戦いの末に救い出した女は、自分を「小少将の君」と名乗る。紫式部と親しい彼女の話によれば、この時代の平安京が『源氏物語』という創作の世界に覆われてしまっているらしい。

小少将の君に導かれて宮中の調査を開始した歌仙兼定たちは、歴史上には実在しない光源氏と貴族たちが恋愛談義に花を咲かせる場面を、目撃する。それは『源氏物語』の中でも有名な「雨夜の品定め」の場面であった。

いつの時代にも実在するはずのない出来事を目の当たりにした歌仙兼定たちは、自分たちが置かれている状況を理解する。ここは、「歴史」と「物語」が反転した世界だった。

STAGE 禺伝 矛盾源氏物語|舞台『刀剣乱舞』

刀剣男士6人の口上から始まり、もうその時点から山鳥毛さんが美しかった。観劇を終えてからも、麻央侑希さんのアカウントで公開されるお写真を日々楽しみにしていました。

観劇の数日前に(そういえばミュージカルじゃないんだった!梅田さんの歌聴きたいよ〜)と改めてショックを受けたりもしましたが、歌はなくとも梅田彩佳さんの声量と存在感を堪能できました。

六条御息所と彰子さまのお役。源氏物語をなぞった六条御息所としての演技があると思って楽しみにしていたら、それ以上のさまざまな顔を目の当たりにできました。

 

七海ひろきさん演じる歌仙兼定は想像以上に美味しい役回りでした。なんせ劇中で光源氏に成り代わる場面があったので。一粒で二度美味しいとはこのこと。

ゲームをしていた当時の初期刀(とほぼ固定にしていた近侍)が歌仙だったので、初めての刀ステが歌仙隊長の作品でよかったです。

 

倶利伽羅の「馴れ合わない」はこんな感じなのかと、ゲームではわからなかった部分で新鮮でした。戦う以外の私的なやり取りはしない程度のイメージだったけど、隊長指示の作戦から抜けて単独行動をするレベルだった。

たしかにゲームの方で「特定のキャラクターを組み込むと一定確率で陣形を無視する」とか仕様に入れ込むわけにはいかないけれども。

鬼滅の刃の映画を漫画未読で行ったとき「伊之助って意外と連携プレーいけるんだ」と感想を抱いたけど、その逆なこともあるとは。

 

事前にTwitterで目にしていた「布を使った演出が素晴らしい」の感想の意味が手に取るようにわかりました。演劇ドラフトグランプリの「劇団ズッ友」で観た、大きい地図を使った場面転換を思い出していた。

文が書かれた、本のページを模された布の上に乗ったり上を歩くのって抵抗がある役者さんもいるんじゃないかと余計な心配もしてしまった。フリでも食べ物で遊んでいるように見えることをするのは抵抗がある、みたいな感じで。

各々の刀が異なる逸話を持つ実験本丸で云々、という部分を理解しきれなかったものの、大筋には着いていきながら観進められました。

 

休憩でロビーに出たら着物観劇の方がいて、これが刀ステの文化なのかと実感しました。

そういえば「ぬいぐるみや造花は出さず鞄にしまってください(ニュアンス)」といった注意書きの貼り紙があったんだけど、造花って何のことなんだろう。ぬいぐるみを持ってくる人がいるのはまあ分かるものの、造花はイメージがつかない。

 

二幕の序盤では、綾凰華さん演じる一文字則宗さんの高笑いにときめきました。性別を問わず高笑いに弱い。そこからはご隠居へ注目して見ていました。全体を通してお頭とご隠居、南泉のやり取りが可愛かったです。

姫鶴一文字さんのことは(ゲーム初期からいる刀剣でいうと)宗三さんのような立ち位置のイメージでいいのかなと思いつつ見ていました。

 

光源氏の正体がいち読者とわかった場面では「つまり瀬戸かずやさんの美貌を備えた読者?」と疑問が頭によぎったけれど、末摘花を演じることになった女官さんが付け鼻をしていたことである程度(物語と整合性が取れる程度に)は「設定」と外見が連動しているのかと納得。

設定といえば「設定を入れる」と「設定が抜けている」の言い方が出たときに微妙に違和感があったんだけど、じゃあ他にどういう表現が良いのかというと思いつけていない。

 

数年前からいわゆる「アイドル短歌」に触れて自分でもいくつか作っていたことで、紫式部の「和歌は心情や景色の一瞬を切り取るものだから心の動きをより克明に表現するため物語を書く」との独白が体感で多少わかりました。短歌をやっていてよかった。

だからこそ、物語を創作している方にはより心にくる内容だったのではないかと思います。私は作中の六条御息所や末摘花の激昂にピンとこなかったというか、どうしてもフィクションの入れ子の一番内側にいる登場人物のメタ的な辛さに同情しきれなかった。

六条御息所の「光源氏の心が自分から離れていることを実感する辛さ」はわかっても、「哀れな女として表され馴れ初めも描写されない辛さ」の訴えには(そこまで汲んでいたら何も作れないでしょう)と思ってしまうというか。

 

物語を騙る罪によって極楽に行けないと考えられていたくだりでは、ミュージカル「マドモアゼル・モーツァルト」で明日海りおさん演じる(音楽の才能があったが女性では音楽家になれないからと)性別を偽るアマデウスが「この嘘で地獄に落ちる」と葛藤していた姿を連想しました。

先日のキングアーサーでも作中でマドモアゼル・モーツァルトのシーンを思い出していたので、あの作品で表現されていた内容が普遍的だったか自分に特に刺さったかのどちらかなんだと思います。両方かもしれない。

 

高校時代に観た映画の源氏物語で、クライマックスに生田斗真さん演じる光源氏紫式部と相対し「なぜ私をこのような目に遭わせる」と語りかけていたことを思い出しました。そして紫式部は「もっと苦しめ、物語のために」のように答えていた記憶があります。

自分が「メタ的な意味で物語の登場人物の心に寄り添えない」と感じた根っこには、10代でその映画から受けた印象があるのかもしれない。

 

梅田彩佳さん出演ミュージカルの感想はこちらです。

上述のマドモアゼル・モーツァルトと、映画刀剣乱舞の鑑賞時の感想もどうぞ。