震えてるのは君のほう

You’re Dream Maker.

「阿呆浪士」感想 なによりも自由に生きること

新国立劇場の中劇場で「阿呆浪士」を見てきました。

内心で京王新線…初台…と唱えながら新宿駅南口から案内に沿って歩いて、どうにか到着できた。

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作中で三度あった応援コーナー、最初と最後の歌が特に楽しかったです。「阿呆のサムライ♪阿呆の町人♪」のフレーズが耳に残っている。

舞台上で振りがあるからにはそれに合わせようと見よう見真似でやっていたけど、浪曲師さんがうちわを振っているのと同じ感じの動きで大丈夫そう。

 

作中たびたびあった「正直に生きるのは辛いわよ、嘘や建前で生きるほうがよっぽど楽よ」や「武士ではなく、お前たちとして生きろ」という台詞が胸に刺さった。

ちょうど1月、年始に祖父母から「自分たちの健康なうちにひ孫を見せてほしい」と言われてきたばかりだった影響もあって。これまでの進路は自分のしたいことと周囲の期待がそれほど違わなかったので、就職から数年した今、自分の思うように生きることとそのリスクをやっと考え始めている。

自分の思いに正直に生きることを決めた彼らの「これは阿呆の神様に捧げる祭りだ」の台詞で、A.B.C-Zが夏に出したアルバムの曲「Chance To Change」の一節が浮かんだ。

答えを探すより 証明することに決めた(中略)

Chance To Change mind

守るべきものは なによりも自由に生きること

終わりなき旅路の向こうに光る 僕らという希望の証

http://j-lyric.net/artist/a056026/l04cfee.html

 

とはいえ、純粋に楽しかった場面もたくさんありました。すずさんの南京玉すだれ披露とか。「トリッパー遊園地」の大道芸シーンを思い出して懐かしくもなった。

いちばん笑ったのは「お前は頷いていたらいいんだ」と言われた八の「ウン!」かなあ。戸塚祥太さんのキャスティングされた醍醐味を感じた。

あとは「山!」「まゆげ!」「しりとりじゃないんだぞ!」のやり取りも。スカピンを演じた宮崎秋人さん、声のよく通る素敵な俳優さんでした。

個人の有志の方から大きなお花が彼にいくつか届いていて、そこからも役者さんとしての影響力がうかがえた。お花といえば公式か「ファン一同」からのものばかり見ていたのでカルチャーショック。

戸塚祥太(A.B.C-Z)と舞台『阿呆浪士』で共演の宮崎秋人 「辛いという感情も活かせるのが役者」 - エキサイトニュース

忠誠を捧げる対象を求めるスカピンの姿には、南総里見八犬伝の犬飼現八が重なった。

 

八の最期は、「生まれ変わったらサバになりたい、あの刺身がいちばん美味いんだ」の台詞が印象に残った。最後まで魚屋の軸を失わなかったという意味でも、「戸塚祥太がそれを言った」メタ的な意味でも。

2019年11月、戸塚さんは自身の誕生日のラジオで「去年くらいまでは来世に何の姿をとっても構わないと思っていたが、今はまた人間として生まれ変わりたい。またこのメンバーと出会いたい」というニュアンスの発言をしていたので。

そして、実はお幸さんにも最後の挨拶をしたんだろうという気がした。きちんと別れを告げたことを言わなかったのか、お直の次で最後の最後に訪れるつもりで嘘をついたのか。あるいは、ぐっすり寝ている彼女に捨て台詞を投げてきたのか。

どの形であったとしても、ふたりの10年来の夫婦の絆は美しいと思った。お幸さんへの挨拶についてどう解釈したか、千秋楽後にでもTwitterのアンケートとかで聞いてみたい気もします。(どう思ったか、匿名メッセージでこっそり教えてくださる方がいたら嬉しいです。https://odaibako.net/u/senya02845498

 

それにしても、とにかく貞っちゃんの「俺が一番阿呆だ」には全く賛成できなかった。結局は生活からの逃避としか思えない。彼の自死は愚かという意味ではいちばんの阿呆かもしれないけど、作中にあった「阿呆=自分に正直になる」という前向きな意味は感じられなかった。

妻の喜多川(とその母)だけでなく、討ち入りしないことを選んだかつての自分への裏切りでもあると感じた。「遊郭での決断を思い出せば生きていける」と言って、駆け落ちを彼にとっての討ち入り(=武士として散ること)だとした場面に胸打たれていたので。

彼には野菜売りの生活を貫いて、何十年後かに畳の上で「どうだ。これが俺の阿呆だよ」と言ってほしかった。

以前に新国立劇場で見た「アンチゴーヌ」も女性が家族に逆らって志のために命を投げ出す悲劇だったけど、志の元に命を失うことの明暗を分けるのは周囲の覚悟の有無なんだろうか。

お幸さんも離別を悲しんではいたけど、最終的には受け入れていたから余計にそう思う。

こうして感情的になってしまったくらい、福田さんの演技にはリアルな力があった。あとは男性から見るとまた違う感想になるのかも。

 

最後の最後に紙吹雪が舞い上がる演出、あの板(生死の境?)が倒れたことで全ての人物が「阿呆」としてそれぞれの選択も弱さも受け入れられて渾然一体となったんだろうか。

前列のお客さんが心配になった。服やかばんの中に紙吹雪入らなかったかな。

 

幕間のBGMで流れていた「祭囃子でゲラゲラポー」はクライマックスの台詞「討ち入りは祭りだ」の伏線だったのかもしれない。

追記 : ラサール石井さんも、この記事の公開とほぼ同時に公式Twitterで言及していました。正解だった!戦国鍋TVの曲も使っていたとは。

一般の方のツイートに返信していたので、この記事ではラサールさんの発言のみ引用します。

客入れ、休憩の音楽は「江戸」「阿呆」「祭り」「侍」をキーワードに選曲していますよ。

https://twitter.com/lasar141/status/1216751909802897409?s=21

 

幕間のロビーでなぜかシュークリームを売ってたことも含めて、混沌とした楽しい舞台でした。たこ焼きかと思った。新国立の中劇場で演目を問わず売っているそうです。

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