舞台トリッパー遊園地、東京公演が終わりました。第二次世界大戦中にタイムスリップする青年の話。
台詞に出てきたお相撲の行司と、戦時中の相撲について調べてみました。ジャニオタやってて行司の家元について調べる日が来るとは。
「自分は、しきもりいいのすけを心から尊敬しております!」
「ワタシはきむらしょうのすけ派だよ〜!」
スエ子のお父さんとディーノさんのやりとり、観た公演では毎回笑いが起きていました。観客の年代や趣味の広さを改めて実感した場面。
正確には「式守伊之助(いのすけ)」と「木村庄之助」でした。木村庄之助が行司界のNo.1、式守伊之助はNo.2。
当時の人気行司かと思っていたら、行司の最高役職「立行司」の襲名する名前だった。
作中の昭和20年(1945年)当時は、18代式守伊之助と21代木村庄之助が活躍。21代木村庄之助は、立行司までの出世が特に早かったとのこと。
2019年現在は41代式守伊之助(2019年1月襲名)、木村庄之助は2015年の37代引退から襲名者不在となっています。
あくまで相撲における主役は力士。名脇役として後世に大きなエピソードを残さないのが良い行司なのかもしれない。
第二次世界大戦中も、大相撲場所は続いていたそうです。戦時中の数少ない娯楽だったと知ったことで、作中の相撲に関する台詞に年配の方から起きた笑いが重く感じられました。
子供たちが体を鍛える場面、大人どうしが体当たりでぶつかって打ち解ける場面でも登場した相撲は「トリッパー遊園地」において物語の鍵だったといえそう。
鍛錬になるという理由から、戦時中でも不謹慎とされない息抜きだった相撲。現在も平和に楽しまれていることに有り難さを感じます。
【参考】
戦後70年「大相撲と戦争」 | 取材レポート | インターネットミュージアム
https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20171201105147.pdf?id=ART0010619467